本、映画、ひと、猫、緑々農園、備忘録。。。
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本を読むという行為
装幀家・菊池信義の『装幀談義』(ちくま文庫)を読む。

25年近く前の内容なので、実際の作品事例はちょっと古いけど、理想の装幀を
求めて、それぞれどんな思いでぶつかったのかがが語られる作品解説を面白く読む。

中でも、本を読みこまなければ作品はできないという氏が「そもそも読書とは、
本とは・・・」について語っている部分が妙に腑に落ちた。

   ・・・本という一つの物は、人を読むという行為に誘う、一人の読者に、
  読んでみたい、読みたいなという思いを呼び起こすものじゃなければ
  いけないわけですね。そして、真の読むという人の行為は、何にも求めない
  状態、読み終えたあとに何かを得たとか、何かを知った、それすらもない、
  ただ読んだということで完了するものだと思うんですね。
   そのような読書という行為が、またそのように読むことを純粋にしていく
  書物が、人にもたらすものは、その人の実生活の中で、真に個々の体験を
  切り開いていく力、現実を開示していく力だと思います。・・・

本を読むことが具体的に何をもたらしたとかいうものでなく、感性を鍛えてくれる
ものではないか、というのだ。
ある時だれかが、読書とは、読んでいるときにだけわかったような気になるだけで、
読んだからといってわかったということはなく、わかるものでもないという話を
していたけれど。共感。

   …僕が考えている一番原型的な、本の存在感は、ハウツウ書とか、
  今はやりのコミック用紙を使った読み捨ての単行本などとは、どうも
  根本的にちがうものなのではないかと思うんです。
    僕は、そういうものもあっていい、本として両極化していくんじゃないか、
  と思いますが、何かああいう本というのは、本というメディアには不似合い
  だなという感じがするんです。(略)もっとちがったメディアの形そのものが
  発見されないと、何か不似合いだなと思えてしかたがないんですね。
  ああいうものは本にしちゃいけないとかいうんじゃないんです。どうもこの
  仕事をするなかで、ああいう本を改めて眺めてみると、何かうまい形に
  入ってないなと、そんな気がします。

私もそう思う。どう思う?